松平信武

『江戸切絵図』深川/文久2年より抜粋、「松平伊豫守」表記区画を信武の屋敷地と推定。形原松平家。家禄は4000石

甲府勤番支配から大番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保12年6月13日1841年7月30日寄合肝煎内蔵允
嘉永元年12月27日1849年1月21日甲府勤番支配下野守諸大夫
嘉永6年4月28日1853年6月4日小姓組番頭(二番組)伊予守
嘉永7年4月7日1854年5月3日浦賀奉行伊予守席次是迄通
嘉永7年6月15日1854年7月9日書院番頭次席浦賀奉行伊予守
安政3年1月22日1856年2月27日大番頭(二番組)伊予守
文久2年伊予守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)大番頭より抜粋

家紋は丸に八つ丁子

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)