村田矩勝

『江戸切絵図』本郷/嘉永6年(国会図書館蔵)より抜粋、「村田阿波守」表記区画を矩勝の屋敷地と推定。実際には嘉永6年時点では矩勝は死亡しているが、版元の情報更新が間に合っておらず「村田阿波守」表記ママとなっていると推定。家禄は200俵

油漆奉行から普請奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化9年2月4日1812年3月16日油漆奉行幾三郎
文化12年6月2日1815年7月8日勘定組頭幾三郎
文政6年5月27日1823年7月5日一橋郡奉行幾三郎
天保7年7月28日1836年9月8日勘定吟味役幾三郎
天保9年8月5日1838年9月23日勘定吟味役幾三郎西丸普請用掛
天保13年3月24日1842年5月4日新番頭格一橋家老並幾三郎200俵高に加増
天保13年10月29日1842年12月1日新番頭格一橋家老並阿波守諸大夫
天保13年11月30日1842年12月31日普請奉行阿波守
嘉永4年12月5日1851年12月27日阿波守

屋敷地推定

屋敷地推定補足

嘉永2年発行の同地を描く『江戸切絵図(近江屋版)』でも同区画に「村田阿波守」表記が確認できる

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永3年)普請奉行より抜粋

家紋は丸に井桁

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2025-03-25)