村松武義

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「村松出羽守」表記区画を武義の屋敷地と推定。家禄は3000石

紀州藩家老から家茂とともに直参へ

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政5年6月25日1858年8月4日小姓組番頭格奥勤郷右衛門紀州家老より高3000石
万延元年7月1日1860年8月17日小姓組番頭(七番組)備中守
文久2年6月14日1862年7月10日側衆備中守
文久2年6月30日1862年7月26日側衆備中守御用取次
文久3年2月13日1863年3月31日側衆出羽守
文久3年11月7日1863年12月17日側衆出羽守上洛御供
文久3年12月18日1864年1月26日菊間縁頬詰出羽守御役御免
慶応元年4月15日1865年5月9日側衆出羽守御用取次
慶応元年閏5月16日1865年7月8日側衆出羽守進発御供
慶応2年9月6日1866年10月14日側衆伊勢守帰府
慶応2年11月4日1866年12月10日伊勢守願之通御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)小姓組番頭より抜粋

家紋は丸に結び雁金