村垣範正

『江戸切絵図』築地/万延元年より抜粋、「村垣与三郎」表記区画を範正の屋敷地と推定。家禄は200俵→500石

遣米使節副使を務めた御庭番

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化2年3月17日1845年4月23日細工頭与三郎諱:範忠
嘉永7年1月14日1854年2月11日勘定吟味役与三郎
嘉永7年2月8日1854年3月6日勘定吟味役与三郎松前派遣
嘉永7年10月17日1854年12月6日勘定吟味役与三郎下田派遣
安政2年10月11日1855年11月20日勘定吟味役与三郎東海道筋川々普請派遣
安政3年7月28日1856年8月28日箱館奉行与三郎諱:範正、高200俵に加増
安政3年8月27日1856年8月28日箱館奉行淡路守諸大夫
安政5年10月9日1858年11月14日外国奉行淡路守
安政5年10月11日1858年11月16日外国奉行/箱館奉行淡路守
安政6年4月8日1859年5月10日外国奉行/箱館奉行/勘定奉行淡路守
安政6年6月4日1859年7月3日外国奉行/箱館奉行/勘定奉行/神奈川奉行淡路守
安政6年9月13日1859年10月8日外国奉行/箱館奉行/勘定奉行/神奈川奉行淡路守遣米使節副使拝命
安政6年11月1日1859年11月24日外国奉行/箱館奉行/神奈川奉行淡路守
万延元年9月15日1860年10月28日外国奉行/箱館奉行淡路守
万延元年12月1日1861年1月11日外国奉行/箱館奉行淡路守300石加増、家禄500石
万延元年12月14日1861年1月24日外国奉行/箱館奉行淡路守日普修好通商条約調印(全権)
文久2年7月6日1862年8月1日外国奉行淡路守
文久3年6月25日1863年8月9日作事奉行淡路守
文久3年12月20日1864年1月28日作事奉行淡路守西丸普請掛
元治元年8月5日1864年9月5日西丸留守居淡路守
元治元年8月18日1864年9月18日寄合淡路守御役御免
他に淡叟と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)外国奉行より抜粋

家紋は隅立て角持ちに左三つ巴

史跡

谷中霊園にある墓碑

命日は明治13年3月15日(1880年3月15日)

肖像

出典:日米協会 編『万延元年第一遣米使節日記』,日米協会,1918. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1920882 (参照 2024-06-17)