向山一履(向山黄村)

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「向山源太夫」表記区画を一履の養父の屋敷地(一履は部屋住)と推定。昌平黌学問吟味乙科及第(弘化5年)。家禄は100俵

駐仏外国奉行を命じられる

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政3年10月8日1856年11月5日箱館奉行支配調役栄五郎
安政5年11月箱館奉行支配組頭栄五郎
万延元年11月30日1861年1月10日表右筆栄五郎
万延2年2月4日1861年3月14日外国奉行支配組頭栄五郎
文久3年5月8日1863年6月23日目付栄五郎外国掛
文久3年5月25日1863年7月10日目付栄五郎京都派遣
文久3年8月2日1863年9月14日寄合栄五郎御役御免、差控
元治元年9月28日1864年10月28日目付栄五郎
元治元年11月19日1864年12月17日目付栄五郎松前伊豆守長州派遣付添
慶応元年10月16日1865年12月3日寄合栄五郎御役御免
慶応2年10月15日1866年11月21日外国奉行栄五郎高100俵
慶応2年10月21日1866年11月27日外国奉行隼人正諸大夫
慶応2年12月外国奉行隼人正仏国派遣
慶応4年3月5日1868年3月28日若年寄隼人正
慶応4年3月25日1868年4月17日隼人正辞任
他に黄村と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)外国奉行より抜粋

家紋は丸に剣花角

史跡

栄松院にある墓碑

命日は明治30年8月12日(1897年8月12日)

肖像

出典:『舊幕府』2(2),旧幕府雜誌社,1898-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1559409 (参照 2024-06-05)

出典:『大日本名家肖像集』,経済雑誌社,1907. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1875517 (参照 2024-06-06)

出典:『江戸』2(2)(6),江戸旧事采訪会,1915-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1468433 (参照 2024-10-16)