長谷川正直

『江戸切絵図』市谷/安政4年より抜粋、「長谷川能登守」表記区画を正直の屋敷地と推定。家禄は4072石

火事場見廻から日光奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保11年4月16日1840年5月17日火事場見廻久三郎
天保12年11月21日1842年1月2日寄合肝煎久三郎
天保15年5月26日1844年7月11日寄合久三郎
安政2年2月5日1855年3月22日講武所頭取久三郎
安政2年2月29日1855年4月15日講武所頭取/寄合肝煎久三郎
安政4年10月24日1857年12月10日日光奉行久三郎
安政4年11月1日1857年12月16日日光奉行能登守諸大夫
万延元年10月10日1860年11月212日能登守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)日光奉行より抜粋

家紋は散ら藤巴

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-13)