藤掛永恵

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「藤掛出羽守」表記区画を永恵の屋敷地と推定。家禄は4000石

中川番から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政4年10月4日1821年10月29日中川番右京
文政7年8月18日1824年9月10日寄合肝煎采女
天保5年1月14日1834年2月22日新番頭(一番組)采女
天保7年10月28日1836年12月6日小普請組支配采女
天保10年7月28日1839年9月5日西丸小姓組番頭(一番組)采女
天保10年12月18日1840年1宇22日西丸小姓組番頭出羽守諸大夫
天保13年9月6日1842年10月9日小姓組番頭出羽守
天保15年5月28日1844年7月13日西丸書院番頭(四番組)出羽守
嘉永5年7月8日1852年8月22日西丸書院番頭美作守森川出羽守が若年寄
嘉永6年9月27日1853年10月29日書院番頭(十番組)美作守
安政2年5月27日1855年7月10日美作守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)書院番頭より抜粋

家紋は丸に三文字

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-31)