花房職補

『江戸切絵図』四谷/元治元年より抜粋、「花房釩之丞」表記区画を職補の屋敷地と推定。家禄は6228石

火事場見廻から小姓組番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
万延元年8月20日1860年10月4日火事場見廻釩之丞
文久3年8月21日1863年10月3日火消役(赤坂門外)釩之丞
元治元年11月22日1864年12月20日関東郡代釩之丞高6228石
元治元年12月27日1865年1月24日槍奉行近江守
慶応元年5月槍奉行近江守進発御供
慶応2年2月2日1866年3月18日小姓組番頭(五番組)近江守
慶応2年3月8日1866年4月22日近江守

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』赤坂/万延2年より抜粋、「定火消御役屋舗 花房釩之丞」表記区画を職補の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 小笠原順三郎」(小笠原政民)表記となっている

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)火消役より抜粋

家紋は尻合わせ三つ雁金