深谷盛房

『江戸切絵図』本郷/嘉永6年より抜粋、「深谷遠江守」表記区画を盛房の屋敷と推定。家禄は500石

小納戸から大目付まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
寛政9年1月30日1797年2月26日小納戸政之助
寛政9年4月21日1797年5月16日西丸小納戸式部
文政2年1月25日1819年2月19日二丸留守居十郎左衛門
文政7年11月8日1824年12月27日西丸小十人頭十郎左衛門
文政8年12月27日1826年2月3日西丸目付十郎左衛門
文政9年2月1日1826年3月9日目付十郎左衛門
天保2年8月8日1831年9月13日京都町奉行十郎左衛門
天保2年9月28日1831年11月2日京都町奉行遠江守諸大夫
天保7年10月15日1836年11月23日作事奉行遠江守
天保8年7月20日1837年8月20日勘定奉行(公)遠江守高500石
天保9年2月12日1838年3月7日勘定奉行遠江守道中奉行
天保12年4月28日1841年6月17日小普請奉行支配遠江守
弘化元年12月24日1845年1月31日大目付遠江守海防掛
弘化2年5月14日1845年6月18日大目付遠江守道中奉行
弘化4年4月8日1847年5月22日大目付遠江守朝鮮信使来聘御用掛
嘉永7年6月20日1854年7月14日遠江守老衰病気付辞

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永6年)大目付より抜粋

家紋は丸に剣花菱

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-12-05)