本郷泰固

『江戸切絵図』小川町/嘉永2年より抜粋、「本郷丹後守」表記区画を泰固の屋敷地と推定。家禄は2000石→3000石→5000石→7000石→1万石→5000石

御用取次で加増を繰り返し若年寄に

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文化4年12月26日1808年1月23日西丸小姓弥三郎
文政3年西丸小姓丹後守頭取介
文政9年西丸小姓丹後守頭取
文政10年閏6月20日1827年8月12日小姓組番頭格丹後守御用取次見習
天保2年8月10日1831年9月15日側衆(家定公)丹後守御用取次
天保7年9月4日1836年10月13日西丸側衆丹後守御用取次
天保8年4月側衆丹後守御用取次
天保13年12月15日1843年1月15日側衆丹後守1000石加増、高3000石
弘化2年5月4日1845年6月8日側衆丹後守2000石加増、高5000石
嘉永4年12月3日1851年12月25日側衆丹後守2000石加増、高7000石
安政4年8月28日1857年10月15日若年寄丹後守3000石加増、高1万石
安政5年7月6日1858年8月14日菊間縁頬詰丹後守
安政6年10月27日1859年11月21日丹後守隠居、慎、5000石召上、高5000石
慶応元年5月15日1865年6月8日丹後守御咎御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)側衆より抜粋

家紋は丸に抱き杏葉

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-09-25)