本多忠興

『江戸切絵図』小日向/嘉永5年より抜粋、「本多對馬守」表記区画を忠興の屋敷地と推定。家禄は9000石

火消役から駿府城代まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政7年8月30日1824年9月22日火消役(溜池)修理
文政11年9月20日1828年10月28日百人組之頭(貮拾五騎組)修理
天保5年5月10日1834年6月16日小姓組番頭(二番組)修理
天保7年8月4日1836年9月14日西丸書院番頭(一番組)対馬守
天保12年1月24日1841年2月15日大番頭(三番組)対馬守
弘化3年3月28日1846年4月23日駿府城代対馬守
嘉永5年5月14日1852年7月1日対馬守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永5年)駿府城代より抜粋

家紋は丸に立ち葵

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-10)