原思孝

『江戸切絵図』小川町/安政7年(国土地理院蔵)より抜粋、「原弥十郎」表記区画を思孝の屋敷地と推定。家禄は200俵

奥右筆から京都町奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政3年4月25日1856年5月28日奥右筆組頭格弥十郎
安政4年8月9日1857年9月26日奥右筆組頭弥十郎
安政6年8月28日1859年9月24日天璋院用人弥十郎
万延元年9月15日1860年10月28日京都町奉行弥十郎
万延元年10月1日1860年11月13日京都町奉行伊予守諸大夫
文久2年4月22日1862年5月20日伊予守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久元年)京都町奉行より抜粋

家紋は割菱