初鹿野信之

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「初鹿野河内守」表記区画を信之の屋敷地と推定。家禄は1200石

小姓組番頭を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保15年6月19日1844年8月2日中奥小姓傳右衛門備後守嫡孫
天保15年9月5日1844年10月16日中奥小姓傳右衛門家督、高1200石
弘化3年12月16日1847年2月1日中奥小姓河内守諸大夫
万延元年3月28日1860年4月18日小普請組支配河内守
文久2年10月9日1862年11月30日小普請組支配備後守井上河内守が老中
文久3年8月14日1863年9月26日小姓組番頭(七番組)備後守
元治元年8月13日1864年9月13日寄合備後守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)小姓組番頭より抜粋

家紋は丸に花角