久永章譽

『江戸切絵図』本郷/安政4年より抜粋、「久永石見守」表記区画を章譽の屋敷地と推定。家禄は4000石

番方の要職を歴任し側衆に

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保8年8月6日1837年9月5日中奥小姓鎬之丞高4000石
天保9年12月16日1839年1月30日中奥小姓石見守諸大夫
嘉永4年6月8日1851年7月6日百人組之頭(弐拾騎組)石見守
嘉永7年閏7月1日1854年8月24日小姓組番頭(一番組)石見守
安政4年閏5月18日1857年7月9日書院番頭(五番組)石見守
文久3年6月22日1863年8月6日留守居石見守
文久3年9月10日1863年10月22日側衆石見守
元治元年5月24日1864年6月27日菊間縁頬詰石見守
元治元年9月28日1864年10月28日側衆石見守
慶応2年10月24日1866年11月30日菊間縁頬詰石見守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)側衆より抜粋

家紋は三つ盛り石持地抜き雁金

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)