野々山兼寛

『江戸切絵図』下谷/文久2年より抜粋、「野々山丹後守」表記区画を兼寛の屋敷地と推定。同区画は文久2年の『江戸切絵図』では「佐々木脩輔」(佐々木顕発)表記となっている。家禄は400石

小納戸から外国奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保5年11月23日1834年12月23日小納戸鉦蔵
天保8年4月2日1837年5月6日西丸小納戸鉦蔵
天保12年3月23日1841年5月13日小納戸鉦蔵
天保12年5月15日1841年7月3日小納戸(家定公)鉦蔵
嘉永6年9月22日1853年10月24日小納戸鉦蔵肝煎
安政3年3月15日1856年4月19日西丸徒頭鉦蔵
安政3年9月15日1856年10月13日西丸目付鉦蔵
安政3年12月1日1856年12月27日目付鉦蔵海防掛
安政5年8月11日1858年9月17日目付鉦蔵将軍代替用掛
安政5年9月3日1858年10月9日目付鉦蔵日仏修好通商条約調印(全権)
安政6年5月26日1859年6月26日寄合鉦蔵
万延元年12月13日1861年1月23日外国奉行丹後守諸大夫
文久元年7月20日1861年8月25日外国奉行丹後守対馬表御用
文久2年6月21日1862年7月17日先手鉄砲頭丹後守
文久3年8月14日1863年9月26日籏奉行丹後守
文久3年11月9日1863年12月19日丹後守病気付願之通隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/文久2年)外国奉行より抜粋

家紋は丸に久留子

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)