蜷川親常

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年、「蜷川能登守」表記区画を親常の屋敷地と推定。家禄は5000石。蜷川親寶は実子

中奥小姓から留守居まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
寛政8年11月24日1796年12月22日中奥小姓七郎相模守倅
寛政9年12月18日1798年2月3日中奥小姓大和守諸大夫
文化12年11月21日1815年12月12日新番頭(五番組)大和守
文政6年8月22日1823年9月26日新番頭大和守日光参詣之節御供
文政11年3月6日1828年4月19日新番頭大和守家督
文政11年11月25日1828年4月20日新番頭相模守堀大和守が若年寄
天保7年9月4日1836年10月13日西丸小姓組番頭(一番組)相模守
天保10年9月10日1839年10月16日西丸書院番頭(二番組)越中守
天保12年7月28日1841年9月13日西丸書院番頭(四番組)越中守組替
天保15年5月1日1844年6月16日留守居能登守
嘉永4年3月14日1851年4月15日留守居能登守年寄付月番泊番御免
嘉永6年9月14日1853年10月16日能登守老衰付辞

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永5年)留守居より抜粋

家紋は合子に箸

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-12-08)