蜷川親寶

『江戸切絵図』小川町/文久3年より抜粋、「蜷川相模守」表記区画を親寶の屋敷地と推定。家禄は5000石。蜷川親常は実父

御用取次を長年勤めた大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政3年12月12日1821年1月15日小納戸金十郎能登守倅
文政8年12月13日1826年1月20日小姓(家定公)七郎
文政9年12月16日1827年1月13日小姓左衛門尉諸大夫
天保2年8月7日1831年9月12日小姓頭取(家定公)駿河守
嘉永5年9月12日1852年10月24日小姓組番頭格相模守西丸御用取次見習
嘉永6年9月15日1853年10月17日小姓組番頭格相模守本丸御用取次見習
嘉永7年3月27日1854年4月24日小姓組番頭格相模守家督、高5000石
安政4年9月13日1857年10月30日側衆相模守御用取次
文久2年11月15日1863年1月4日相模守願之通御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)側衆より抜粋

家紋は合子に箸

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)