内藤正當

『江戸切絵図』本郷/万延2年より抜粋、「内藤肥後守」表記区画を正當の屋敷地と推定。家禄は5700石

番方要職歴任し書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化3年9月23日1846年11月11日火事場見廻外記
嘉永3年2月24日1850年4月6日火消役(御茶ノ水)外記
安政3年12月1日1856年12月27日百人組之頭(根来組)外記
安政6年4月22日1859年5月24日小姓組番頭(二番組)外記
文久元年7月28日1861年9月2日書院番頭(四番組)肥後守
文久2年10月9日1862年11月30日寄合肥後守御役御免

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』本郷/嘉永6年(国会図書館蔵)より抜粋、「定火消御役屋敷 内藤外記」表記区画を正當の屋敷地(定火消役屋舗)と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)小姓組番頭より抜粋

家紋は下り藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)