内藤正令

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「内藤遠江守」表記区画を正令の屋敷地と推定。家禄は400石

小納戸から禁裏附まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政3年12月12日1821年1月15日小納戸甚三郎
文政4年9月1日1821年9月26日西丸小納戸甚三郎頭取格、奥ノ番
文政9年9月1日1826年10月2日小納戸(家定公)甚三郎
天保7年11月8日1836年12月15日西丸広敷用人甚三郎
天保7年12月16日1837年1月22日西丸広敷用人遠江守諸大夫
天保8年4月2日1837年5月6日大御台用人遠江守
天保8年8月29日1837年9月28日広敷用人遠江守
天保11年11月8日1840年12月1日先手鉄砲頭遠江守
嘉永2年2月8日1849年3月1日禁裏附遠江守
嘉永5年4月24日1852年6月11日籏奉行遠江守
文久2年6月18日1862年7月14日寄合遠江守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永4年)禁裏附より抜粋

家紋は下り藤

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-11-02)