内藤忠辰

『江戸切絵図』下谷/嘉永4年より抜粋、「内藤茂之助」表記区画を忠辰の屋敷地と推定。家禄は200俵

勘定組頭から勘定奉行格小普請奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保13年6月24日1842年7月31日勘定組頭茂之助
天保15年9月14日1844年10月25日勘定組頭茂之助御殿詰
嘉永4年7月8日1851年8月4日納戸頭茂之助
嘉永6年12月15日1854年1月13日佐渡奉行茂之助
安政6年11月4日1859年11月27日小普請奉行新十郎
安政6年11月6日1859年11月29日小普請奉行新十郎本丸普請掛
万延元年閏3月30日1860年5月20日小普請奉行飛騨守
万延元年12月24日1861年2月3日勘定奉行格小普請奉行飛騨守
文久元年4月25日1861年6月3日飛騨守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)小普請奉行より抜粋

家紋は下り藤