中野長風

『江戸切絵図』番町/嘉永3年より抜粋、「中野石見守」表記区画を長風の屋敷地と推定。家禄は150俵→200俵

勘定組頭から大坂町奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政6年8月6日1823年9月10日勘定組頭又兵衛永々御目見以上
文政13年3月25日1830年4月17日勘定組頭又兵衛高150俵に加増
天保3年12月16日1833年2月5日勘定組頭又兵衛布衣
天保6年12月14日1836年1月31日勘定吟味御役又兵衛
天保12年11月8日1841年12月20日佐渡奉行又兵衛高200俵に加増
天保14年6月15日1843年7月12日持筒頭又兵衛
弘化4年9月20日1847年10月28日堺奉行又兵衛
弘化4年11月1日1847年12月8日堺奉行石見守諸大夫
嘉永2年12月大坂町奉行石見守
嘉永3年5月11日1850年6月20日石見守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永2年)堺奉行より抜粋

家紋は酢漿草

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)