高橋政晃(高橋泥舟)

『江戸切絵図』小石川/安政4年より抜粋、「高橋連之助」表記区画を政晃の養父の屋敷地と推定。家禄は100俵→300俵

講武所槍術師範役から遊撃隊頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久2年12月10日1863年1月29日講武所槍術師範役謙三郎布衣
文久3年3月徒頭次席講武所師範役伊勢守諸大夫、浪士取扱
文久3年4月15日1863年6月1日寄合伊勢守御役御免
文久3年12月28日1864年2月5日二丸留守居格講武所槍術師範役伊勢守
慶応2年11月18日1866年12月24日遊撃隊頭取伊勢守席次是迄通
慶応3年10月25日1867年11月20日遊撃隊頭並伊勢守
慶応4年1月28日1868年2月21日遊撃隊頭伊勢守
慶応4年3月10日1868年4月2日作事奉行格遊撃隊頭伊勢守
他に泥舟と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)講武所槍術師範より抜粋

家紋は丸に抱き柊

史跡

大雄寺にある墓碑

命日は明治36年2月13日(1903年2月13日)

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)