高木守庸

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「高木伊勢守」表記区画を守庸の屋敷地と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では先代の「高木讃岐守」(高木守雄)表記となっている。家禄は5000石

中奥番から日光奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政4年閏5月4日1857年6月25日中奥番勝之助兵部少輔惣領
文久3年7月2日1863年8月15日中奥番家督、高5000石
文久3年12月14日1864年1月22日目付宮内
慶応元年5月11日1865年6月4日歩兵頭宮内
慶応元年8月10日1865年9月29日日光奉行宮内
慶応3年9月1日1867年9月28日伊勢守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応3年)日光奉行より抜粋

家紋は丸に違い鷹の羽