『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「都築金三郎」表記区画を峯重の屋敷地と推定。家禄は100俵→200俵。都築峰暉は実子
下田奉行としてプチャーチンと交渉
役職通称遍歴
和暦 | 西暦 | 役職 | 通称 | 備考 |
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天保5年10月29日 | 1834年11月29日 | 勘定組頭 | 金三郎 | 永々御目見以上 |
天保14年6月10日 | 1843年7月7日 | 大津代官 | 金三郎 | 布衣、100俵高に加増 |
嘉永元年11月1日 | 1848年11月26日 | 勘定吟味役 | 金三郎 | 海防掛 |
嘉永6年3月24日 | 1853年5月1日 | 佐渡奉行 | 金三郎 | 200俵高に加増 |
嘉永7年4月22日 | 1854年5月18日 | 下田奉行 | 金三郎 | |
嘉永7年4月27日 | 1854年5月23日 | 下田奉行 | 駿河守 | 諸大夫 |
安政2年5月22日 | 1855年7月5日 | 禁裏附 | 駿河守 | |
安政5年4月6日 | 1858年4月6日 | 駿河守 | 卒 |
屋敷地推定
武鑑記載家紋
『安政武鑑』(須原屋/安政2年)下田奉行より抜粋
家紋は丸に洲浜