遠山景高

『江戸切絵図』小川町/安政7年(国土地理院蔵)より抜粋、「遠山安藝守」表記区画を景高の屋敷地と推定。家禄は6531石。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「竹本主水正」(竹本正懋)表記、文久3年の『江戸切絵図』では「小笠原加賀守」(小笠原長穀)表記となっている。

中奥小姓から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年閏11月17日1833年1月7日中奥小姓鉞之丞高6531石
天保7年12月20日1837年1月26日百人組之頭(貮拾騎組)安芸守
天保10年7月28日1839年9月5日西丸小姓組番頭(三番組)安芸守
天保12年8月30日1841年10月14日小姓組番頭(六番組)安芸守
天保14年2月1日1843年3月1日書院番頭格浦賀奉行安芸守
天保15年2月8日1844年3月26日大番頭(九番組)安芸守
安政5年5月6日1858年6月16日側衆安芸守
文久2年12月18日1863年2月6日菊間縁頬詰安芸守

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』雑司ヶ谷/安政4年より抜粋、「遠山安芸守」表記区画を景高の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)大番頭より抜粋

家紋は丸の内に二つ引き

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-11-15)