遠山景元(遠山金四郎)

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「遠山左エ門尉」表記区画を景元の屋敷地と推定。家禄は500石

ご存じ名奉行遠山の金さん

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政8年12月7日1826年1月14日小納戸金四郎
文政8年12月13日1826年1月20日西丸小納戸金四郎
天保6年5月20日1835年6月15日小普請奉行大隅守
天保8年8月20日1837年9月19日作事奉行左衛門尉
天保9年2月12日1838年3月7日勘定奉行(公)左衛門尉
天保11年3月11日1840年4月13日江戸町奉行(北)左衛門尉
天保13年12月16日1843年1月16日江戸町奉行左衛門尉市中取締並物価引下褒賞
天保14年2月24日1843年3月24日大目付左衛門尉
天保14年12月29日1844年2月17日大目付左衛門尉分限帳改
弘化2年3月15日1845年4月21日江戸町奉行(南)左衛門尉
嘉永5年3月21日1852年5月9日江戸町奉行左衛門尉永年出精褒賞
嘉永5年3月24日1852年5月12日寄合左衛門尉辞任

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』大名小路/嘉永2年より抜粋、「南町御奉行御役屋敷 遠山左衛門尉」表記区画を景元の屋敷地(南町奉行役屋舗)と推定。同区画は安政7年の『江戸切絵図』では「南町御奉行御役屋敷 池田播磨守」(池田頼方)表記、文久3年の『江戸切絵図』では「南町御奉行所 佐々木信濃守」(佐々木顕発)表記、慶応元年の『江戸切絵図』では「南町御奉行所 山口駿河守」(山口直毅)となっている

武鑑記載家紋

『嘉永武鑑』(須原屋/嘉永3年)江戸町奉行より抜粋

家紋は丸に金四郎九字

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-03)

史跡

本妙寺にある墓碑

命日は安政2年2月29日(1855年4月15日)