遠山則訓

『江戸切絵図』赤坂/万延2年より抜粋、「遠山隼人正」表記区画を則訓の屋敷地と推定。家禄は800石

徒頭から大目付まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保7年10月8日1836年11月16日徒頭(十一番組)半左衛門
天保14年2月24日1843年3月24日西丸目付半左衛門
天保14年4月西丸目付半左衛門本丸目付介
天保14年9月7日1843年9月30日西丸目付半左衛門当分本丸目付介
天保14年9月15日1843年10月8日目付半左衛門勝手掛
嘉永3年11月29日1851年1月1日小普請奉行半左衛門
嘉永3年12月16日1851年1月17日小普請奉行隼人正諸大夫
嘉永5年5月17日1852年7月4日小普請奉行隼人正西丸普請掛
嘉永5年12月27日1853年2月5日作事奉行隼人正
嘉永6年10月13日1853年11月13日作事奉行隼人正宗門改
安政4年2月24日1857年3月19日大目付隼人正
安政4年3月2日1857年3月27日大目付隼人正日記掛
安政5年3月6日1858年4月19日大目付隼人正宗門改
安政5年5月12日1858年6月22日大目付隼人正道中奉行
万延元年12月15日1861年1月25日西丸留守居隼人正
文久2年6月18日1862年7月14日籏奉行隼人正
文久2年12月27日1863年2月15日隼人正願之通隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)大目付より抜粋

家紋は丸の内に二つ引き両

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)