竹中重固

『慶応改正御江戸大絵図』(国会図書館蔵)より抜粋、「伊達遠江」表記区画の一部を重固の屋敷地と推定。家禄は5000石

陸軍奉行などを務めた交代寄合

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文久元年3月30日1861年5月9日交代寄合彦八郎家督
元治元年5月8日1864年6月11日大番頭(十二番組)民部
元治元年10月11日1864年11月10日陸軍奉行遠江守
慶応元年5月陸軍奉行丹後守進発御供
慶応2年10月8日1866年11月14日陸軍奉行並丹後守
慶応3年10月26日1867年11月21日若年寄並/陸軍奉行丹後守
慶応4年2月9日1868年3月2日交代寄合丹後守御役御免、差控
慶応4年2月19日1868年3月12日交代寄合丹後守逼塞
他に春山と号す

屋敷地推定

屋敷地推定補足

『屋敷渡預絵図証文』第300冊,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2588014 (参照 2025-06-07)

『東京市史稿』には、慶応元年9月11日(1865年10月30日)に芝金杉の伊達遠江守の御預地のうち2000坪を願いの通り、竹中丹後守が下屋敷として拝領し、この屋敷地は東は伊達遠江守の台場附属陣屋地、西は勘定吟味役の小野友五郎及び新規の道、南は大番頭の斎藤摂津守、北は伊達遠江守の台場附属陣屋地及び徒目付中島弥九郎、勘定吟味役の小野友五郎の屋敷地に面しているとある。出典元は上記の『屋敷渡預絵図証文』となっている。この絵図を基に『慶応改正御江戸大絵図』に記載が確認できる「伊達遠江」表記区画の一部を重固の屋敷地と推定。

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)陸軍奉行より抜粋、家紋は丸に九枚笹

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肖像

岡田霞船 編『徳川義臣伝 : 明治戦記』甲,金松堂,明16.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/778458 (参照 2025-06-07)