滝川具挙

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「滝川三郎四郎」表記区画を具挙の屋敷地と推定。家禄は1200石。井戸覚弘は岳父、京極高朗は実弟

討薩表を届ける使者役を命ぜられる

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政6年10月8日1859年11月2日小十人頭(十番組)三郎四郎
万延元年閏3月1日1860年4月21日目付三郎四郎外国掛
万延元年12月1日1861年1月11日外国奉行三郎四郎高1200石
万延2年1月23日1861年3月4日神奈川奉行播磨守
文久元年8月15日1861年9月19日禁裏附播磨守
文久2年7月27日1862年8月22日京都町奉行播磨守諱:具知
元治元年9月大目付播磨守諱:具挙
慶応4年2月9日1868年3月2日寄合播磨守御役御免
慶応4年2月19日1868年3月12日播磨守逼塞
他に戇哉と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久元年)神奈川奉行より抜粋

家紋は丸に竪木瓜