津田信義

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「津田鉄太郎」表記区画を信義の屋敷地と推定。家禄は6000石

火消役から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保10年5月1日1839年6月11日火消役(市ヶ谷左内坂)鐵太郎
弘化3年2月24日1846年3月21日小普請組支配鐵太郎
嘉永3年10月15日1850年11月18日西丸小姓組番頭(二番組)鐵太郎
嘉永3年12月16日1851年1月17日西丸小姓組番頭日向守諸大夫
嘉永4年12月28日1852年1月19日小姓組番頭(一番組)日向守
嘉永7年6月28日1854年7月22日書院番頭(二番組)日向守
嘉永7年9月6日1854年10月27日日向守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)小姓組番頭より抜粋

家紋は五瓜に唐花

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-11-18)