戸田光烈

『江戸切絵図』浅草/文久元年より抜粋、「戸田中務」表記区画を光烈の屋敷地と推定。家禄は6022石

火消役・甲府勤番支配などを務めた大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永3年9月10日1850年10月15日火事場見廻中務
嘉永5年12月27日1853年2月5日火消役(飯田町)中務
文久元年3月28日1861年5月7日小普請組支配民部
文久3年12月22日1864年1月30日甲府勤番支配民部
元治元年3月20日1864年4月25日甲府勤番支配但馬守諸大夫
元治元年12月27日1865年1月24日西丸留守居但馬守
元治2年2月24日1865年3月21日但馬守

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』番町/安政5年(国土地理院蔵)より抜粋、「定火消御役屋舗 戸田民部」表記区画を光烈の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 小笠原弥八郎」(小笠原長儀)表記となっている

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)甲府勤番支配より抜粋

家紋は六曜