戸川安栄

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「戸川因幡守」表記区画を安栄の屋敷地と推定。同区画は慶応元年の『江戸切絵図』では後継の「戸川鉡三郎」(戸川安愛)表記となっている。家禄は3000石

中奥小姓から大番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年11月17日1832年12月8日中奥小姓順之助高3000石
天保13年12月29日1843年1月29日小普請組支配因幡守
弘化3年2月24日1846年3月21日甲府勤番支配因幡守
嘉永元年3月8日1848年4月11日寄合因幡守
嘉永3年11月29日1851年1月1日先手鉄砲頭因幡守
嘉永7年4月22日1854年5月18日小姓組番頭(二番組)日向守
安政3年6月25日1856年7月26日書院番頭(十番組)伊豆守
万延元年7月1日1860年8月17日大番頭(三番組)伊豆守
文久2年6月5日1862年7月1日寄合伊豆守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)書院番頭より抜粋

家紋は三本杉

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-09-11)