徳永昌賢

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「徳永伊豫守」表記区画を昌賢の屋敷地と推定。家禄は2500石

小納戸から書院番頭まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政11年12月7日1829年1月12日小納戸主税
文政12年6月1日1829年7月1日小姓小膳
天保2年8月17日1831年9月22日中奥小姓主税高2500石
嘉永元年8月15日1848年9月11日小普請組支配伊予守
嘉永7年8月9日1854年9月30日小姓組番頭(五番組)伊予守
安政4年8月9日1857年9月26日書院番頭(三番組)伊予守
文久2年10月9日1862年11月30日寄合伊予守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政6年)書院番頭より抜粋

家紋は丸に蔦

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)