坪内保之

『江戸切絵図』番町/元治元年より抜粋、「坪内伊豆守」表記区画を保之の屋敷地と推定。家禄は5533石→6533石

御側御用取次を長年務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保5年3月21日1834年4月29日火事場見廻栄吉
天保6年7月20日1835年8月14日火消役(駿河台)栄吉
天保11年2月19日1840年3月22日小普請組支配左京
天保12年10月8日1841年11月20日浦賀奉行左京
天保14年2月1日1843年3月1日西丸小姓組番頭(三番組)左京
天保14年12月16日1844年2月4日西丸小姓組番頭伊豆守諸大夫
天保15年6月18日1844年8月1日小姓組番頭(二番組)伊豆守
嘉永2年4月2日1849年4月24日小姓組番頭伊豆守紀州御使
嘉永3年6月28日1850年8月5日書院番頭(三番組)伊豆守
嘉永5年7月8日1852年8月22日駿府城代伊豆守諱:定保
安政4年2月9日1857年3月4日側衆伊豆守諱:保之
安政5年8月2日1858年9月8日側衆伊豆守御用取次
万延元年12月15日1861年1月25日側衆伊豆守1000石加増
文久3年11月7日1863年12月17日側衆伊豆守上洛御用兼御用
元治元年3月18日1864年4月23日菊間縁頬詰伊豆守願之通御役御免
元治元年7月7日1864年8月8日菊間縁頬詰安房守松前伊豆守が老中
元治元年8月6日1864年9月6日側衆安房守御用取次
慶応元年10月8日1865年11月25日側衆河内守上京
慶応元年11月26日1866年1月12日側衆伊豆守井上河内守が老中
慶応2年9月6日1866年10月14日側衆伊豆守帰府
慶応4年3月5日1868年3月28日伊豆守願之通御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『安政武鑑」(須原屋/安政2年)駿府城代より抜粋

家紋は丸に州浜

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)