土岐頼礼

『江戸切絵図』赤坂/元治2年より抜粋、「土岐丹波守」表記は頼礼の父(土岐頼旨)の通称ではあるが、下記補足資料『御府内沿革図書』では文久2年の同区画は「土岐大隅守」表記となっている。安政6年に頼礼が家督を継いでいることから『江戸切絵図』の表記は更新漏れの可能性が高いと推定、「土岐丹波守」表記区画を頼礼の屋敷地と推定。家禄は3500石。小出秀実は実弟

中奥小姓から海軍奉行並まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永4年10月28日1851年11月21日中奥小姓帯刀丹波守惣領
嘉永6年11月7日1853年12月7日中奥小姓大隅守諸大夫
安政5年2月5日1858年3月19日中奥小姓/講武所頭取大隅守
安政6年10月19日1859年11月13日中奥小姓/講武所頭取大隅守家督、高3500石
文久元年12月10日1862年1月9日中奥小姓次席講武所頭取大隅守
文久2年3月24日1862年1月9日西丸新番頭(一番組)大隅守
文久2年10月10日1862年12月1日小姓組番頭(七番組)大隅守
文久3年5月6日1863年6月21日書院番頭(七番組)大隅守
文久3年9月24日1836年11月5日書院番頭大隅守海陸御備向掛
元治元年8月5日1864年9月5日神奈川奉行大隅守席高是迄通
元治元年11月22日1864年12月20日寄合大隅守御役御免
元治2年1月20日1865年2月15日書院番頭(一番組)大隅守
元治2年2月13日1865年3月10日大番頭(三番組)肥前守
慶応元年5月11日1865年6月4日大目付肥前守
慶応元年6月27日1865年8月18日大番頭(十番組)肥前守
慶応2年11月15日1866年12月21日海軍奉行並肥前守高3500石
慶応4年1月28日1868年2月21日寄合肥前守御役御免

屋敷地推定

屋敷地推定補足

出典:東京市 編『御府内沿革図書』第二篇下,東京市. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3436308 (参照 2024-09-13)

同区区画は文久2年の『御府内沿革図書』では「土岐大隅守」と表記が確認できるため、同地を頼礼の屋敷地と推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)大番頭より抜粋

家紋は桔梗