土岐朝昌

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「土岐下野守」表記区画を朝昌の屋敷地と推定。家禄は7000石

番方・役方で要職を歴任した大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年7月19日1832年8月14日西丸小姓綱五郎豊前守惣領
天保8年4月2日1837年5月6日小姓下野守
天保13年1月11日1842年2月20日百人組之頭(弐拾騎組)下野守
弘化元年12月3日1845年1月10日小姓組番頭(六番組)下野守
弘化元年12月28日1845年2月4日小姓組番頭豊前守青山下野守が老中
嘉永4年4月8日1851年5月8日書院番頭(二番組)豊前守
嘉永7年6月4日1854年6月28日浦賀奉行豊前守席次是迄通
安政4年2月9日1857年3月4日書院番頭(三番組)豊前守
安政4年7月24日1857年9月12日勘定奉行(勝)豊前守
安政6年3月9日1859年4月11日駿府城代下野守
文久2年12月28日1863年2月16日講武所奉行下野守高7000石
文久3年1月20日1863年3月9日側衆下野守
文久3年7月12日1863年8月25日側衆下野守御用取次
元治元年6月23日1864年7月26日菊間縁頬詰下野守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『安政武鑑』(須原屋/安政2年)浦賀奉行より抜粋

家紋は桔梗

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-04)