土井利用

『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「土井備前守」表記区画を利用の屋敷地と推定。家禄は5000石

番方要職歴任後に講武所奉行まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保13年4月29日1842年6月7日火事場見廻酉之助
天保13年11月2日1842年12月3日寄合肝煎酉之助
天保15年5月26日1844年7月11日寄合酉之助辞任
嘉永5年12月27日1853年2月5日火事場見廻主計
安政4年11月12日1857年12月27日寄合肝煎/講武所頭取主計
安政5年10月24日1858年11月29日甲府勤番支配主計
安政5年11月23日1858年12月27日甲府勤番支配備前守
安政6年8月21日1859年9月17日寄合備前守辞任
文久3年6月25日1863年8月9日小姓組番頭(七番組)備前守
文久3年8月14日1863年9月26日書院番頭(二番組)備前守
文久3年8月19日1863年10月1日書院番頭海陸御備向掛
文久3年9月22日1863年11月3日大目付備中守席次是迄通
元治元年5月26日1864年6月29日寄合備中守御役御免
元治元年7月24日1864年8月25日寄合肝煎備中守
元治元年8月11日1864年9月11日大目付出羽守
元治元年11月19日1864年12月17日田安家老出羽守
慶応2年6月15日1866年7月26日講武所奉行備中守高5000石
慶応2年8月26日1866年10月4日寄合備中守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)大目付より抜粋

家紋は八つ水車