関行篤

『江戸切絵図』本所/文久3年より抜粋、「関出雲守」表記区画を行篤の屋敷地と推定。家禄は100俵→200俵

和宮附を任じられる

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保8年5月26日1837年6月28日勘定組頭保右衛門永々御目見以上
天保10年5月14日1839年6月24日代官保右衛門
天保13年5月28日1842年7月6日代官保右衛門100俵高に加増
天保13年12月16日1843年1月16日代官保右衛門布衣
天保15年6月18日1844年8月1日勘定吟味役保右衛門
嘉永元年11月7日1848年12月2日勘定吟味役保右衛門日光宮並本坊修復見分
嘉永2年9月14日1849年10月29日勘定吟味役安右衛門日光山御宮修復奉行
嘉永5年8月10日1852年9月23日新潟奉行保右衛門200俵高加増
嘉永7年7月24日1854年8月17日堺奉行保右衛門
嘉永7年9月15日1854年11月5日堺奉行出雲守諸大夫
安政5年1月22日1858年3月7日小普請奉行出雲守
安政5年12月29日1859年2月1日作事奉行出雲守
安政6年9月18日1859年10月13日作事奉行出雲守宗門改
安政6年11月4日1859年11月27日京都町奉行出雲守
文久元年11月16日1861年12月17日留守居並出雲守
文久2年11月21日1861年12月22日留守居並出雲守和宮附、役料1000俵
文久2年12月29日1863年2月17日寄合下総守御役御免、隠居

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)新潟奉行より抜粋

家紋は丸に唐団扇