関盛泰

『江戸切絵図』本所/嘉永5年より抜粋、「関播磨守」表記区画を盛泰の屋敷地と推定。家禄は5000石

火事場見廻から留守居まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政元年6月10日1818年7月12日火事場見廻亀之助
文政4年12月2日1821年12月25日中奥小姓亀之助高5000石
文政6年2月9日1823年3月21日中奥小姓肥前守諸大夫
文政10年12月20日1828年2月5日中奥小姓播磨守永井肥前守が若年寄
天保8年3月26日1837年4月30日西丸小姓組番頭(四番組)播磨守
天保12年7月20日1841年9月5日小姓組番頭(五番組)播磨守
天保15年3月28日1844年5月15日書院番頭(二番組)播磨守
嘉永4年3月24日1851年4月25日留守居播磨守
安政4年11月8日1857年12月23日播磨守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永7年)留守居より抜粋

家紋は揚羽蝶

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)