鈴木重嶺

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「鈴木大之進」表記区画を重嶺の屋敷地と推定。家禄は100俵。同区画は嘉永3年の『江戸切絵図』では「鵜殿甚左エ門」(鵜殿長鋭)表記となっている。

勘定組頭から勘定奉行並まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政2年6月3日1855年7月16日勘定組頭大之進永々御目見以上
文久2年7月26日1862年8月21日勘定吟味役大之進高100俵に加増
元治元年7月2日1864年8月3日勘定奉行並(勝)大之進
元治元年7月23日1864年8月24日槍奉行大之進
元治元年8月14日1864年9月14日槍奉行大之進長州征伐御供
元治元年8月18日1864年9月18日寄合大之進御役御免
慶応元年9月13日1865年11月1日佐渡奉行大之進
慶応3年12月14日1868年1月8日佐渡奉行兵庫頭諸大夫
慶応4年4月16日1868年5月8日兵庫頭御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『慶応武鑑』(須原屋/慶応3年)佐渡奉行より抜粋

家紋は抱き稲

肖像

東京大学史料編纂所より