酒井忠礼

『江戸切絵図』小川町/慶応元年より抜粋、「酒井肥前守」表記区画を忠礼の屋敷地と推定。家禄は7000石

火事場見廻から側衆まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保3年12月29日1833年2月18日火事場見廻矗之助
天保5年3月8日1834年4月16日火消役(八代洲河岸)矗之助
天保9年11月1日1839年12月17日小普請組支配矗之助
天保10年10月1日1841年9月13日小姓組番頭(家定公)主馬
天保12年7月28日1841年9月13日西丸小姓組番頭(四番組)肥前守
天保14年10月1日1843年11月22日西丸書院番頭(二番組)肥前守
嘉永6年9月27日1853年10月29日書院番頭(八番組)肥前守
安政5年7月11日1858年8月19日留守居肥前守
文久3年7月1日1863年8月14日側衆肥前守
慶応2年3月11日1866年4月25日寄合肥前守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/慶応元年)側衆より抜粋

家紋は丸に石持ち地抜き剣酢漿草

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-09-09)