神保相徳

『江戸切絵図』深川/文久2年より抜粋、「神保山城守」表記区画を相徳の屋敷地と推定。家禄は6000石

長年番方の重鎮を務める大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永元年9月10日1848年10月6日火消役(半蔵門外)三千次郎
安政2年7月1日1855年8月13日百人組之頭(弐拾騎組)三千次郎諱:茂興
安政6年2月24日1859年3月28日小姓組番頭(十番組)三千次郎諱:相徳
万延元年10月22日1860年12月4日書院番頭(七番組)山城守
文久2年12月28日1863年2月16日大番頭(二番組)山城守
元治元年7月13日1864年8月14日大番頭(三番組)山城守野州追討
元治2年2月13日1865年3月10日留守居上席大目付山城守長州御使
元治元年3月5日1865年3月31日寄合山城守辞任
慶応元年5月11日1865年6月4日陸軍奉行遠江守高6000石
慶応元年5月15日1865年6月8日大目付山城守席次是迄通
慶応元年11月2日1865年12月19日大番頭(四番組)遠江守
慶応3年1月29日1867年3月5日寄合遠江守御役御免、隠居

屋敷地推定

別地屋敷地

『江戸切絵図』外桜田/嘉永3年より抜粋、「定火消御役屋舗 神保三千次郎」表記区画を相徳の屋敷地(定火消役屋舗)と推定。同区画は万延元年の『江戸切絵図』では「定火消御役屋舗 八木多三郎」(八木補職)表記となっている

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久元年)書院番頭より抜粋

家紋は丸に竪二つ引き

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[2],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2024-08-04)