沢幸良

『江戸切絵図』小日向/万延元年より抜粋、「沢勘七郎」表記区画を幸良の屋敷地と推定。家禄は600石

三度外国奉行を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政5年3月11日1858年4月24日鉄砲玉薬奉行勘七郎
安政6年11月16日1859年12月9日広敷番之頭勘七郎
万延2年1月15日1861年2月24日徒頭/講武所頭取勘七郎
文久2年10月9日1863年1月17日目付勘七郎
文久3年4月1日1863年5月18日寄合勘七郎御役御免
文久3年4月19日1863年6月5日外国奉行勘七郎高600石
文久3年6月24日1863年8月8日寄合勘七郎御役御免
文久3年8月7日1863年9月19日作事奉行格外国奉行勘七郎
文久3年9月10日1863年10月22日講武所奉行並勘七郎席次是迄通
元治元年6月1日1864年7月4日外国奉行左近将監
元治元年6月23日1864年7月26日寄合左近将監御役御免
他に簡徳と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)講武所奉行より抜粋

家紋は石持地抜き十曜二つ引両

史跡

青山霊園にある墓碑

命日は明治36年10月12日(1903年10月12日)