柴田勝全

『江戸切絵図』四谷/元治元年より抜粋、「柴田能登守」表記区画を勝全の屋敷地と推定。家禄は3024石

中奥小姓から番方要職を歴任し書院番頭へ昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
弘化3年2月16日1846年3月13日中奥小姓宗三郎出雲守惣領
弘化4年12月16日1848年1月21日中奥小姓能登守諸大夫
嘉永元年3月29日1848年5月2日中奥小姓能登守家督、高3024石
安政6年10月28日1859年11月22日小普請組支配能登守
文久2年8月24日1862年9月17日小姓組番頭(六番組)能登守
文久3年7月10日1863年8月23日書院番頭(六番組)能登守
文久3年11月11日1863年12月21日書院番頭能登守上洛御供
元治元年7月6日1864年8月7日書院番頭越前守本多能登守が若年寄
慶応元年閏5月16日1865年7月8日書院番頭越前守進発御供
慶応元年8月12日1865年10月1日一橋家老越前守
慶応3年5月13日1867年6月15日寄合能登守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)書院番頭より抜粋

家紋は丸に二つ雁金