柴田剛中

『江戸切絵図』小石川/安政4年より抜粋、「柴田貞太郎」表記区画を剛中の屋敷地と推定。家禄は100俵→200俵

二度の遣欧使節に参加し外交分野で活躍

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
安政5年9月25日1858年10月31日外国奉行支配組頭貞太郎永々御目見以上
万延2年1月29日1861年3月10日外国奉行支配組頭貞太郎布衣、高100俵に加増
文久元年12月22日1862年1月21日外国奉行支配組頭貞太郎文久遣欧使節随員、品川出港
文久2年12月9日1863年1月28日外国奉行支配組頭貞太郎帰朝
文久2年12月28日1863年2月16日外国奉行並貞太郎
文久3年3月28日1863年5月15日外国奉行並貞太郎渡欧褒賞
文久3年11月4日1863年12月14日外国奉行貞太郎箱館派遣
文久3年12月外国奉行日向守諸大夫
慶応元年4月25日1865年5月19日外国奉行日向守遣欧使節拝命
慶応元年5月1日1865年5月25日外国奉行日向守100俵加増
慶応元年閏5月5日1865年6月27日外国奉行日向守神奈川出港
慶応2年1月26日1866年3月12日外国奉行日向守横浜帰着
慶応2年7月6日1866年8月15日外国奉行日向守日伊修好通商条約調印(全権)
慶応2年12月7日1867年1月12日外国奉行日向守日丁修好通商条約調印(全権)
慶応3年5月13日1867年8月8日大坂町奉行(東)/外国奉行日向守
慶応3年7月9日1867年8月8日兵庫奉行日向守
慶応4年1月17日1868年2月10日寄合日向守辞任

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/元治2年)外国奉行より抜粋

家紋は丸に三つ柏

肖像

出典:『幕末名家寫眞集』第[1]集,[書写者不明],[19–]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2575328 (参照 2024-05-31)

出典:『大日本名家肖像集』,経済雑誌社,1907. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1875517 (参照 2024-06-06)