杉浦勝静(杉浦梅潭)

『江戸切絵図』小石川/安政4年より抜粋、「杉浦正一郎」表記区画を勝静の屋敷地と推定。家禄は450石。久須美祐雋は叔父

最後の箱館奉行を務める

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
万延元年6月19日1860年8月5日鉄砲玉薬奉行正一郎
文久2年5月15日1862年6月12日二丸留守居/蕃書調所頭取正一郎高400石
文久2年8月24日1862年6月12日目付正一郎勝手掛、外国掛
文久3年7月23日1863年9月5日長崎奉行正一郎
文久3年7月29日1863年9月11日目付正一郎勝手掛
文久3年10月16日1863年11月26日目付兵庫頭諸大夫
文久3年11月8日1863年12月18日新番頭格目付兵庫頭勤候内1500俵高
元治元年6月17日1864年7月20日寄合兵庫頭御役御免
慶応2年1月18日1866年3月4日箱館奉行兵庫頭
他に梅潭と号す

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『慶応武鑑』(須原屋/慶応3年)箱館奉行より抜粋

家紋は丸の内に二つ引

史跡

長延寺にある墓碑

命日は明治33年5月30日(1900年5月30日)

肖像

出典:『舊幕府』3(8),旧幕府雜誌社,1899-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1559420 (参照 2024-06-05)

出典:『大日本名家肖像集』,経済雑誌社,1907. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1875517 (参照 2024-06-06)