曽我助豫

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「曽我若狭守」表記区画を助豫の屋敷地と推定。家禄は6500石

番方の重鎮を務める大身旗本

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保14年8月4日1843年8月28日中奥小姓主水伊代守倅
弘化3年11月25日1847年1月11日中奥小姓主水家督、高6500石
弘化3年12月16日1847年2月1日中奥小姓若狭守諸大夫
嘉永7年10月14日1854年12月3日百人組之頭(甲賀組)若狭守
安政4年5月22日1857年6月13日小姓組番頭(一番組)若狭守
安政6年11月1日1859年11月24日小姓組番頭若狭守尾州御使
安政6年12月22日1860年1月14日書院番頭(一番組)若狭守
文久2年10月17日1862年12月8日寄合若狭守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/万延元年)書院番頭より抜粋

家紋は五七の桐