下曽根信之

『江戸切絵図』愛宕下/嘉永3年より抜粋、「下曽根金三郎」表記区画を信之の屋敷地と推定。家禄は900俵。筒井政憲は実父

高島流砲術を修めた講武所砲術師範役

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
嘉永5年9月20日1852年11月1日二丸留守居金三郎
安政2年8月9日1855年9月19日先手鉄砲頭金三郎
安政3年4月23日1856年5月26日持頭講武所砲術師範金三郎諱:信敦
文久元年5月16日1861年6月23日持頭格講武所砲術師範役金三郎
文久元年10月27日1861年11月29日西丸留守居格講武所砲術師範役甲斐守諸大夫
文久3年6月22日1863年8月6日歩兵奉行甲斐守諱:信之
文久3年7月1日1863年8月14日歩兵奉行/講武所砲術師範役甲斐守
元治元年10月11日1864年11月10日西丸留守居格講武所砲術師範役甲斐守勤内2000石高
慶応2年11月18日1866年12月24日西丸留守居格陸軍所修行人教授方頭取甲斐守

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『文久武鑑』(須原屋/文久4年)歩兵奉行より抜粋

家紋は石持ち割菱に地抜き花菱