近藤是用

『江戸切絵図』鉄砲洲/文久元年より抜粋、「近藤遠江守」表記区画を是用の屋敷地と推定。家禄は5000石

番方の要職を歴任

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
文政11年12月7日1815年1月16日火事場見廻彦九郎
文政13年4月1日1830年5月22日火消役(飯田町)彦九郎
天保7年9月14日1836年10月23日百人組之頭(甲賀組)彦九郎
天保13年9月30日1842年11月2日小姓組番頭(八番組)彦九郎
天保15年4月15日1844年5月31日小姓組番頭(五番組)遠江守
嘉永2年12月24日1850年2月5日書院番頭(一番組)遠江守
安政2年3月15日1855年54月1日大番頭(十一番組)遠江守
文久2年10月9日1862年11月30日寄合遠江守御役御免

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/安政4年)大番頭より抜粋

家紋は割角

花押

[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552686 (参照 2024-08-03)