近藤政賢

『江戸切絵図』小川町/嘉永3年より抜粋、「近藤織部正」表記区画を政賢の屋敷地と推定。家禄は4300石

火事場見廻から甲府勤番支配まで昇進

役職通称遍歴

和暦西暦役職通称備考
天保6年閏7月29日1835年9月21日火事場見廻左京
天保8年3月29日1837年5月3日火消役(六番町)左京
天保13年12月28日1843年1月28日小普請組支配織部
弘化2年12月10日1846年1月7日甲府勤番支配織部
弘化3年2月24日1846年3月21日西丸留守居信濃守
嘉永7年2月13日1854年3月11日寄合織部正

屋敷地推定

武鑑記載家紋

『大成武鑑』(出雲寺/嘉永6年)西丸留守居より抜粋

家紋は亀甲に七曜

花押


[土岐]頼旨 [著]『花押似真』[1],[1—] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2552687 (参照 2025-1-4)